NOVEL

revisions リヴィジョンズ

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『revisions リヴィジョンズ SEQ』
渋谷帰還後、TVアニメ12話エピローグで再会を果たす前日、
大介たちは、なにを想い、どう過ごしていたのか――?
ノベライズ著者・茗荷屋甚六が書き下ろす公式後日談(sequel)!

『revisions リヴィジョンズ SEQ』第3回(全7回) 著:木村航

    03 マリマリ

──2017/10/08(Sun.)/21:44
 東京都渋谷区・手真輪氏宅・マリマリ自室

『んー。どーしよ』ルウが書き込んだ。
「やだ……」つい声が出てしまった。
 マリマリは今、自室の勉強机の前に座ってスマホをいじっていた。ふと肌寒さを感じ、椅子の背にかけてあったカーディガンを羽織る。この秋の新製品だ。寒がりの彼女を心配した母は、毎年秋口には早々と買ってくれる。まだ必要ないと思っていたが、あってよかった。ぬるめの風呂にゆっくり浸かって温まったあと、パジャマ一枚で寛いでいたのだが、油断して湯冷めしただろうか。それとも不安のせいだろうか。
『ルウ、これからのこと決めたのか』
 大介の書き込みはいつもの通り直球だ。答えるルウはそっけない。
『まだ考え中』
『ずっとそればっかりだな』
『あんたこそどうするの。学校には残るの』
 次の書き込みがあるまでのわずかな間が永遠にも思えた。マリマリの右手は無意識に動き、カーディガンの襟元をかき合わせ、ぎゅっと握り締めていた。
 渋谷転送区域内の学校はすべて休校中だったが、いずれも校舎移転の方向で再開準備が進められていた。転送区域の立ち入り禁止指定が解除される時期がはっきりせず、待っていられないというわけだ。
 マリマリたちが通う聖昭学園は転送境界線上にあり、大きな被害を受けた。様々な出来事の舞台となった校舎は、時空災害遺産として残す案と取り壊し案の間で意見が割れている。
 元々私立大学付属校でもあり、校舎移転の目処が立つまでは大学キャンパス内の仮設校舎を利用して授業を行う方針らしい。場所は未定だが、多摩か横浜か、いずれにせよ渋谷から離れることになる。
 マリマリは復学するつもりでいる。
 だが大介は、ルウは、そしてガイはどうするのか──
『まだわからない』大介が書き込んだ。『俺ひとりで決められることじゃないし』
『ご両親とは話したんだよね』
『この前こっちへ来てくれた時に俺の希望は伝えた。けど許してくれるかどうか』
『てことは、ご両親がいる関西へ移る気はないんだよね?』
『そうだ。俺は、仲間と一緒にいたい』
 その書き込みを見た途端、呼吸が楽になった。と同時に、全身にじんわりと熱が戻ってきた。マリマリは胸元を握り締めていた手を放し、スマホの上を滑らせた。
『よかった。これからも一緒にいられるんだね』
『まだ決まったわけじゃないけど、俺はそうしたいと思っている』
 そう、決まったわけじゃない。この先どうなるかはまだわからないのだ。はしゃがないようにしなければ。そう自分に言い聞かせながらも、やはり嬉しさは込み上げてきた。
 大介の父が関西へ転勤となったのは中等部二年の秋で、夫婦で引っ越すと聞いた時はマリマリのみならず仲間の誰もが驚いた。国土交通省の公務員としてキャリアを重ねてきた人だけに転勤はしばしば経験していたはずだが、単身赴任を選ばなかったのは、家庭内の問題のせいだったろう。その頃すでに大介の奇行は目に余り、仲間たちの間でも浮いていたし、何度か警察沙汰にもなっていた。彼の両親は家族ぐるみの転居という荒療治で環境を変えることを望んだに違いない。
 けれど大介は我を貫き通し、叔父の家に同居して渋谷に残った。
 仲間と共にいることを選んだのだ。
 そのことを知った時、仲間たちは複雑な表情で口ごもった。だがマリマリは深く安堵した。今また同じ温かいものが胸の奥から湧き起こり全身に染み渡っていく。
 大介は、ずっと一緒だ。いつもそばにいて守ってくれる。
 そう信じられることがどれほど心強いことか。
 けれど、何かが違う。
 不意に脳裏に浮かぶのはミロの言葉。幼い頃の記憶のままに。
「最後は自分で決めろ」──と。
(決めたよ、私。自分の意志で)
 そうして今がある。切り抜けて、生き延びて、元の時代へ戻ってきた。皆で語りあい笑い交わせる仲間たちと共に。
 なのに、ここには──
(やめよう。楽しいことを考えなきゃ)
 マリマリはお気に入りのスタンプの中から、ほっこりした笑顔のキャラを選んでアップした。タイムライン上で幸せそうに微笑むキャラは、マリマリ自身に代わって気持ちを伝えてくれるだろう。
『通学が大変になるね』ルウが書き込んだ。『仮設校舎の候補地って、どっちも結構遠いでしょ』
『うちはお父さんが車で送ってくれるって言ってるけど、ちょっと怖いかな……』
『マリマリのお父さん、飛ばすもんな』
 思い出す。幼い頃、父の車で仲間たちみんなとキャンプへ出かけたことがあった。
(楽しかったな)
 思い出には、しかし今までにはなかった痛みと苦さが伴った。あの時はみんないた。幼なじみの五人。ガーディアンズの仲間。誰ひとり欠けてはいなかった。
『いっそ在校生は全員、学生寮に受け入れてくれないかな』大介が書き込む。
『それいい! 楽しそう!』ルウが応じる。『ん~、でもメディアにつきまとわれたら迷惑がかかっちゃうか……』
『そんなこと言ってたら俺たち学校へ行けないだろ』
『だよね。あいつらホント迷惑』
『いっそ通学時にも護衛つけてくれないかな。大統領みたいにさ』
『なに、嬉しそうに』
『みんなを守る方法を考えてるだけだろ! マリマリんちにカメラが近づけないのだって護衛のおかげじゃないか』
『七人のトロールってやつ?』
「えぇ~」
 こっちに振られるとは思わなかったので、マリマリは焦った。
 いつの間にかマリマリは、ネットでは「マリマリ姫と七人のトロール」として有名になっていた。彼女の自宅に近づいたメディア関係者は、父をはじめとする七人のむくつけき男たちによって実力で排除されることからついた異名らしい。
『護衛とか、そういうのじゃないよ! お父さんの工場の社員さんたちだからね?』
『わかってるよ』
『でもさ、マリマリ姫って、イメージぴったりだと思わない?』
『やめてよ~』
 父の工場は自宅と隣接している。自動車用超精密機械部品が主力で、製品はF1エンジンにも使われている。しかし社員たちは皆両手持ちの斧やハンマーが似合いそうな大男だ。そもそも父も着ぐるみじみた体型で、指なんかミニバナナをフリッターにしたよう。繊細な仕事など務まりそうにないタイプだが、かつては大手メーカーの先行開発部門責任者を務めていた。しかし車いじりが好き過ぎて、独立し部品製造業を立ち上げると共に、自動車整備工場まで始めてしまった。高級車・改造車整備専門で、採算度外視の道楽だ。マリマリはよく知らないが、父はその道では有名なマニアらしく、人柄を慕って集まった社員たちの結束は固い。  そしてかれらの間では、マリマリは実際に「姫」として敬われているのだった。
(そんなことが広まったら恥ずかしくて家から出られない……!)
『ネットとかに変なこと書かないでね? ねっ?』
『書かないし、そもそも俺たちSNS書き込み禁止じゃないか』
『あれも頭にくるよね。どんな権限があって発言まで制限するの。納得いかない』
『炎上防止だろ』
『しつこい。あと、あんたのほうが絶対燃えやすい』
『まあ、そうかもなあ』
『素直か。らしくない』
『なんでだよ!』
『てゆーかさ、もし寮生活になったらすごく楽しそうだけど、私とあんたが揃ってたら毎日バトルだよね』
『直せよ! その性格を!』
『くっ……! あんたに正論で突っ込まれる日が来るとは……』
 タイムライン上のやり取りを追っていると、マリマリはいたたまれなくなってくる。
 大介とルウが幼い頃のように仲良く語りあっているのは嬉しい。ずっとこのままでいて欲しいと思う。
 けれど、この幸せは損なわれている。
 ここにはもうひとり、大切な仲間がいなければならないのに──
『マリマリはどう思う?』ルウが振ってきた。
「ふぇ?」また声が出た。
『寮生活って楽しそうじゃない?』
『そうだね!』
 急いで書き込んで、シチュに合いそうなスタンプを探す。その指先が滞った。
(みんなで一緒に暮らす……)
 もう一度文字入力に切り替え、ゆっくりと入力する。
『なんか思い出しちゃうね、向こうでの暮らし』
『パペット基地?』ルウがレスした。
『うん』
『あれは寮って言うより合宿かキャンプっぽかった』
『秘密基地みたいだったよな!』
『はいはい。あんたホントそーゆーの好きだよね』
 駅ビル間の連絡通路下に作られた仮設基地。工事現場を囲うフェンスで仕切られた中に、ちんまりと並ぶプレハブ二棟。男子と女子に分かれて共に暮らしたのは、振り返ってみるとほんの六週間ほどだ。
『あそこにいたのって、ちょうど夏休みぐらいの間だったんだね』
『そっか』
 書き込みが途切れた。無理もないと思った。マリマリの胸に込み上げてくるこの気持ちは皆の中にもあるだろう。けれど受け止めかねているだろう。悲しみと苦しみに満ちた日々だったのに、顧みれば懐かしさばかりか、大切なひとときだったとさえ感じてしまう。そのことに罪悪感が募るのだ。
(ダメだ。切り替えなきゃ。せっかく盛り上がってたのに)
 マリマリは深呼吸して書き込んだ。
『あの基地、まだあるのかな』
『明日見てこようよ』
『うん』
 帰還から百日目の節目に当たる明日、かれらは許可を得て立ち入り禁止区域内を訪れ、建立されたばかりの時空災害犠牲者追悼慰霊碑を参拝する予定だ。
 その後は、エリア内を見て回ろうと相談がまとまっていた。
 都知事が打ち出した渋谷再開発計画によれば、渋谷中心部は大きく様変わりし、転送前の面影はなくなるらしい。そもそも立ち入り禁止措置が解除されることが前提の計画なので、今のところ机上の空論に留まっていたが、いずれ変化の波はあの場所を洗うだろう。
 慰霊碑は変化の最初の兆候だ。
 いまだ戦いの後のまどろみにたゆたうあの町も、生きてこの世に在る者によって、姿を変えられていくに違いない。
 ならばその前に、もう一度確かめておきたかった。
 何もかもが失われてしまう前に──
(でも、もう手遅れかも)
 変化は、いや喪失は、すでにかれらの世界を変えてしまった。
『あの基地の』
 書きかけてマリマリはためらった。雰囲気を壊してしまうだろうか。けれど確かめるチャンスは今しかない。
『鍵ってどうなったのかな。私たちの部屋の』
『え、どうだろ。私は持ってないよ』
『俺も』
『泉海さんが管理してたんじゃないかな。マリマリんとこにも荷物は届いたでしょ?』
『うん。誰かが片づけて、送ってくれたんだよね』
 スマホと文房具と教科書類、それに通学カバン。あとはわずかな衣類だけ。いずれもビニールで包まれ、きっちりと梱包されて届けられたが、洗濯はされていなかった。ニューロスーツに着替えるため脱いだ時のままの状態で回収されたのだろう。
『あの後、中に入った人がいるんだよね』
『なんで?』ルウが尋ねた。『入ってみたい?』
『ちょっと気になって』
『慶作のことか?』
 大介の書き込みを見たら泣きたくなった。
『うん』
 マリマリは男子部屋へ入ったことはない。だが女子部屋の様子から考えて、野戦病院に似た殺風景な有様だったろう。並んだベッドの他には手荷物を入れる床頭台が銘々にひとつと、共用のLEDランタンがひとつ。あとは自分と仲間だけ。
『実はね、私、慶作と約束してたことがあって』
 そこまで書いて、全部消した。みんなには内緒にしていたことだ。今さら打ち明けるのはためらわれたし、慶作だって望まないだろう。言葉を選んで書き直す。
『慶作の荷物って、どうしたのかな』
『どうだろ』ルウが応じた。『回収はされたと思うけど』
『だよね』
 当然だ。まさかあのまま誰もいない男子部屋に放置されているとは思えない。
『それって返却されたのかな? だとしたら、誰のところに?』
 書き込みが途切れた。
 ためらっているのだろうか。
 あるいは誰も答えを持たないのか。
 空白のタイムラインを見つめるうちに、マリマリの心はいくつもの思いに乱れた。
 慶作は母ひとり子ひとりだ。他に身寄りがあるかどうかは知らない。自分のことはあまり話さなかったし、マリマリもあえて聞く気はなかった。踏み込まず仲良しのままずっと一緒にいる。それが当たり前だと思っていた。なんて浅はかだったのか。いずれ大人になれば道は分かれ、それぞれの未来を進むだろうとわかっていたはずなのに。
 まさかこんなに突然の別れが訪れるなんて。
 残されているだろうわずかな痕跡も確かめることはかなわず、その行方さえ明らかではなく、引取先さえおぼつかないとは。
 怖かった。
 このままでは慶作は、本当にこの世から消えてなくなってしまいそうで──
 と、タイムラインに変化があった。
『心配はいらない』
 ガイだった。

(続く)


こちらの『revisions リヴィジョンズ SEQ』は、
メールマガジン「revimaga リヴィマガ」にて連載されていた書き下ろし小説となります。